名前:丸藤 亮

エヴォリューション・レザルト・バースト1115連打ァ!

カイザー

ナウシカを読んで一番印象に残ったのは、7巻でのナウシカの
「清浄と汚濁こそが生命だ」
「生きることは変わることだ。
王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう」という台詞だったよ。
穿った見方かも知れないけど、全編を通して読んだとき
宮崎監督が「ナウシカ」で伝えたかったのは
正にこのことじゃないかなって…
そして恐らく、ナウシカの読者の間で一番意見が分かれるのも
この台詞を口にして墓所を破壊した
ナウシカの決断の是非じゃないかな、と感じた。

結論から言うと、私はナウシカの行動を支持してる。
理由はいくつかあって
一つ目は、墓所の主の発言って前提としての真偽が不明確だから
(仮に内容が真実だったとしても独善的だし、色々疑問もあるし、どうも胡散臭いし…)
もう一つは、やっぱりナウシカの主張が私には理屈抜きで真実に思えたから。

それと、これはかなりメタ視点?になっちゃうかも知れないんだけど…
ナウシカが墓所の主の言葉を受け入れるということは、
読者に向かって、「結局、人間の根本を改変するテクノロジーがない限り、
私達の住む現実のこの世界は良くならない」と
今の世界や現実への努力を放棄することを意味してしまう。
ナウシカの墓所の破壊が、
宮崎監督の強い信念に基づいていることは確かだとは思うんだけど
それを差し引いても、主人公であるナウシカは墓所を否定せざるを得ない立場だったとは思う。
でも、そんな理屈を抜きにして、私はナウシカの言葉に胸を打たれたよ。
「二律背反や相反こそ生命、自然」なのだということは
論理では説明できない実際の命の姿だし、真実なんだと思う。
私は今まで、一般的に世の中で美徳とされる性質(愛とか)を尊んで、
憎しみは最小限にしなくてはならないのだと思っていたんだけど…
愛も憎しみも、どちらかを賛美したり否定したりして、
一方を消し去ろうとするのは違う。
その両方をひっくるめて受け止めて、その上で精一杯生きていく、
という姿勢を忘れてはいけないんだと感じさせられた。

だから、もしも作中の旧人類に過ちがあるとすれば
どれだけ苦しくとも
そうやってどっちつかずの灰色の状態を受け入れて生きていくべきところを
第三者に白黒つけてもらって楽になるために巨神兵を作り出した
その心なのかなと思った
でも、少し時間が経って読み返したら、また感想が変わるかも…

>ナウシカの墓所の破壊がこの作品の一番の考察所だな。
汚染された空気に対応できるよう人々の体を作り替えたり、
不老不死の研究をしたり、
墓所のやってる事は自然や生命の営みを
冒涜しているよな。
あげくのはてに地上の空気が清浄になったとき
それに対応できるようまた人工的な力に頼って、
人の体を作り替え、生き延びようとする・・・
王蟲や粘菌たちの自然を守る為の自然サイクルを
見てきたナウシカにとっては、墓所はどれほど
旧人類が傲慢であることをわからせ、
生に執着する姿は醜く映っただろうか。
何でも人工的な力で自然を制御しようとした傲慢さに
怒りを感じるのは当然の事だろうな。
最後に地上が正常な空気に戻った時、
どうなるのかは自然が決める事だ、
というような終わり方は実に宮崎氏らしい結論付けだったと思う。
後物語のもう一つの謎は巨神兵のオーマ
まるで赤ん坊の様で、神の様にも見える
ナウシカが名前をつけた瞬間に知能が上がったり
一番謎が多い)

後は余談になるけど、クシャナが映画版とは違って
かなり掘り下げられているんだね。
漫画を読んでクシャナを好きになったよ。
ナウシカは物語の当初から、既にある程度完成された
聖少女、超人って感じなんだけど、クシャナは
「父や兄への憎悪と、母や部下へ対する慈愛」の二面性だとか
その憎しみを手放す過程の様子が、よりありのままの人間に近いように思った。
もしかしたら、「清浄と汚濁こそが生命だ。
生きることは変わることだ」っていう台詞を
作中で最も体現しているキャラが彼女かもしれないって感じたよ。
>そうだな、漫画版ではクシャナはもう一人の
影となる主人公だからな。
作中で一番成長した人間らしいキャラクターだ

興味深い感想を書いてくれてありがとう
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長文その八