兄が照れくさそうに言った。
「好きな人が出来たんだ」
一瞬言葉を失ってああ、違う違うと自分の考えを払拭する。「人」だ。きっと彼女の事なのだろうと容易に想像がついた。彼女以外の人間を、兄は知らない。
それとなく問いただせば兄は顔…というべき部分を真っ赤に染めた。でも嬉しそうでもあった。
「お前に、一番に伝えたかったんだ」
もう知ってる、と言おうとしたけれど、言葉に出来なかった。
一番だなんて、言うから
兄とは、物心ついた時から一緒だった。そもそも私が物心ついたというのが自分自身の存在を認識した頃だったので、生まれた頃から一緒にいると言っても過言じゃない。
兄は私をとても可愛がってくれた。晶子と名付けたのも、兄だった。何故晶子という名前にしたのか尋ねれば、俺の妹だから、と言って笑った兄を思い出す。
それがひどく嬉しくて、それから、私は毎日兄さん兄さんとついて回った。兄はそれを咎めず、存分に甘えさせてくれた。
今はただ、その優しさが痛い。
ある日、先生にリボンをつけて貰った。綺麗な赤いリボン。兄に無い色が物珍しく、少し喜びに浸っていると、飴玉貰った子供みたいな顔してら、と先生に声を上げて笑われた。子供扱いをされたのに気にくわず俯けば、お前の兄貴に見せに行って来いよ、と撫でられる。もしかして先生は気付いていたのだろうか。どうなのだろう。しかし今更気にしたところで無意味だった。何せ、当時は自分ですら気付いていなかったのだから
元々そのつもりだ、と、可愛くない返事をしてその場を去った。
お披露目しようと兄を探せば、兄は、彼女を見ていた。別に動いても彼女は兄に気付きはしないのに、兄は微動だにせず彼女をただ見つめた。不安に思って兄さん、と呼べば、兄は慌てたように返事を返した。どうしたと問う兄に例のリボンを見せれば、ああ、とようやく合点がいった様子で私を見つめると似合うな、と微笑んだ。褒められた私は嬉しくて嬉しくて、リボンの経緯だの色だのについて散々喋ると兄はその度にうん、うんと相槌を打ってくれた。ようやく話し終えればそうかぁ、と兄が感慨深げに私を見て、年頃の女の子だもんなぁ、晶子も、と言うものだから私は驚いて思わず兄を見た。だが兄はもう私を見てはいなかった。
「あの女(ひと)も、そういうのが好きだろうか」
兄は、すでに彼女しか見ていなかった。
彼女は、…あの女(ひと)は、美しかった。私達兄妹にはひどく魅力的で、眩しかった。私は兄よりは彼女を見かける機会は少なかったけれども、あの女が微笑めば焦がれるようなものがよぎった。そして私は時折兄と同じようにあの女を見つめる。美しい人。私のこの、無機物の身体とは違って温かく柔らかで、儚げな人。兄さんが恋した女。兄さんが愛した人。
ああ、だけどあの女(ひと)は、あの女は!
あの女は兄を知らないし気付きもしない、そして最悪な形で恋をしている。それをついに知った時、私はどうしようもなく泣きたくなった。何て現実というのは残酷なんだろう。あの人達は互いに恋をしているのに、愛しているのに、実質一方的に想い合っているのだ。
愚かな兄。愚かな女。ああ、しかし、一番の愚か者は誰よりも、何よりも、私だ!
私は、…私は兄が好きだ。兄が愛したあの女も好きだ。どうしようもなく愛している。私は、一体どちらに恋しているのだろう。何にせよこの想いが兄が“兄”であるが為に生まれたに違いない。兄が為に兄を愛し、私達が兄妹故にあの女を愛する。
なんて愚かな、なんと罪深い
兄さん、と呟く。
貴方が、兄でなければ、よかったのに
もし、兄でなかったら私達の関係は何になるのだろう
「晶子」
何も知らない兄が私に笑いかけてくる。
ああ、やはりどうしても、貴方が憎めない。
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