ではノールールを採用し「目の前の相手を倒すことが強い」と決めてみましょうか
もちろん、金的、目潰し等の急所攻撃も有りです
しかし、この条件にも問題が絡んできます
例えば、ボクサーと武術家が果し合いをしたとします
激戦の末、ボクサーは得意の右ストレートを打ち込み、脳震盪を起こした武術家は足元からその場に倒れこみます
まさにノックアウトですね
当然勝利したのはボクサーでしょう
しかし、ボクサーはその果し合いから3年後にお亡くなりになります
武術家に受けた一撃が彼を死に至らしめたのです
所謂(いわゆる)3年殺しという内臓の消化器系を長期間かけて破壊するという秘技を打ち込んでいたのです
負けたはずの武術家が意識を取り戻した後、これから数十年の人生を全(まっと)うするのに対し、ボクサーはたった数年で非業の死を遂げてしまう…
果たしてこの勝負「ボクサーが勝った」と言い切れるでしょうか
ルールを失くしてしまったが故に「強さを決める基準」も同時に失われてしまったという例です
つまり、ノールールを採用して考えてみても「強い」とは何か? という問題に舞い戻ってしまうのです
では、「目の前の相手を殺すこと」=「強い」と今度はしましょうか
しかしそうなると「強さ」を求める意味がなくなります
なぜなら、相手を殺すことだけが目的なら格闘技などより近代兵器を使う方がずっと確実だからです
武術を身に付けるより、マシンガンの撃ち方を習ったほうが強いに決まっています
しかし、それはここで言うところの「強さ」とはまた違うものとなりましょう
このように、「一番強い」「最強」という言葉には並々ならぬ複雑な問題が絡んでしまうのです
どの格闘技が最強とは安直に決められません
仮に、もしそれを決めるとするならば「ある特定のルールでは○○が最強」とか「この条件では○○が強い」といった言い方しか出来ないでしょう
余談となりますが、生物進化論的な観点から「強い」ということを考えると、「強さ」とは「生き残る」ことだそうですよ
圧倒的なパワーでかつての地上を支配していた恐竜は、生存競争の中で傷つき減少し、ついには環境の変化によって滅びましたが、戦いに参加せず逃げ惑っていた哺乳類は生き残りました
生物の歴史を振り返ると、餌を獲るために進化した機能(サーベルタイガーの牙など)よりも、餌を獲らなくても生き残る機能のほうがずっと有効だったことが分かりますね
戦いに勝つことよりも、戦いに参加しないことで勝利を得る、そういった「勝ち」が結局のところ最も「生き残る」ことに有効であったのを生物進化論は証明していますし、私たちもその意思を継いだ子孫に過ぎません
なかなか皮肉な話だと思いませんか?
あら、私としたことが長々とお喋りしてしまいましたね
最後に、この画像の詳細希望の方がおられましたら拍手からお伝えください!!
大平乃時代ですよこれからは!!
格闘技2