>>余計なことを考えながら戦うのは性に合わないと言えるのは、不知火が強/いからか、相手が深海/棲艦だからなのか
>>ただ人間同士の戦争の場合、正義は必要になるんだ
>>ほとんどの人は、悪いわけでも憎いわけでもない人間をためらいもなく殺す事なんてできない
>>なぜなら人間を含めた多くの動物が同族殺しを避ける本能を持っているから
>>この本能に逆らうストレスを緩和するための方法が、相手を悪にして殺しを正当化することなんだ
>>昔読んだ『戦争における「人/殺し」の心理学』って本にこんな内容の事が書いてあった
>>言われてみれば、他人を殺したくなんてないよね、例えそれが嫌/いな相手でも
>>現在の日本で生活していると、人を殺さなくてはいけない苦しみなんてなかなか思い至らないからね
>>あと正義と悪に限らず、価値について考える時はこの二つを前提にした方がいいと思うの
>>主客の一致は無理(哲学)、価値は事実から出てこない(論理学)
>>誰かが「不知火は可愛/くない」って言っても、俺にとっては不知火は可愛/いくて
>>それに共感してくれる人は少なからずいると思う
>>それで否定されるのは絶対的・普遍的の部分だよ
>>そしてそんな所のものを考えようとするから耐えられないくらい重くなって
>>その価値が破綻したような気になってしまうんだ


成る程です。考えれば考えるほど難しいですが、仰ることは大体理解できたつもりです。
確かに、深海棲艦は“不知火にとっての悪”であり、それを斃すことは“不知火にとっての正義”である、それは間違いのないところです。
この時代において斃すべき敵が人でなかったことは、ある意味幸運だったと言えます。また人を殺さなければならないとしたら…少なくとも、何の躊躇いもなく、とはいかないでしょう。
……とはいえ、必要であればそうする覚悟は、しているつもりです。勿論、この“必要”というのも、不知火の価値観において判断しその責任を負う、そこまで含んでの覚悟です。
日誌36-1