――――――こんな話を知っているだろうか。
1462年、オスマン帝国第7代スルタンにして、東ローマ帝国を滅ぼしオスマン帝国を帝国足らしめる域にまで勢力を拡大させた『征服者』メフメト二世。彼はさらにその版図を拡大させるために現在のルーマニア南部にあったワラキア公国に13万もの兵を率いて遠征をした。
対するワラキア公国国王ヴラド三世ドラクリヤの率いた軍は公国全土からかき集めた1万の兵。本来なら勝てる筈のない戦力差。―――だが。
彼は文字通り国土を武器にして戦った。略奪できないように住民を避難させてから村を焼き、猟ができないように山を焼き。水が使えないように毒を投げ、時には彼自らが軍を率いて遠征軍の食料集積地を焼き払ったという。
そのほかにも度重なる夜襲や奇襲が行われ、そのたびに撃退したものの遠征軍の士気は落ち続けていた。それでも首都にたどり着いてしまえば十分落とせるとメフメト二世は味方を鼓舞し続け、ついに首都に到達した彼らが見たものは。
――――――首都の周囲、幅100m、長さ数キロにわたって広がっていた串刺しの野原。2万人に及ぶ彼らの同胞たちが串刺しにされて首都の周囲につきたてられていたのだ。
事ここに至り、ついに遠征軍の士気は崩壊。メフメト二世の激励でもどうにもならず、ついに撤退せざるを得なくなったという。
この時、彼が言い残したといわれている言葉が現代にも伝わっている。
『余はいかなる人間にあっても恐怖することは無い。だが、悪魔だけは別だ』
二万の異教徒を刺し貫き、尽く侵略者たちの血を吸い続けた粛清の槍衾。それが彼の宝具『
極刑王』である。
陽炎「このままじゃ―――あたれぇっ!」
逃げ回ってもらちが明かないと判断した陽炎は反撃に転じたが―――
ガガガッ!!
陽炎「弾かれた!?」
あっさりと杭に阻まれて弾かれてしまう。
ヴ「どうした蛮族の娘よ。その程度では余の裁きからは逃げられんぞ?」
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