トイレの仏棲姫さん
あれは、私たちがフランスのブレストに向かった時のことです……。
ブレストとは、フランス最大の軍港とも言われる要衝の地です。

侵攻部隊撃滅の任務でしたが、さほど強力な敵艦は見当たりませんでした。


「まあまだE-1だしなー」

「あのクソガキが出ないならそれに越したことはないクマ」

「寝てていい?」

「カレーでも作りましょうか?」


当初は気を引き締めていた皆さんも、次第に気が緩み始めていきました。
夏に異国へ赴くという状況がそうさせたのでしょうか、
赴任地が現在では観光地としても有名なブレストということも手伝ったのかもしれません。


そんなある日、誰ともなくこんな話が艦隊で持ち上がりました。




「トイレの仏棲姫さんって知ってる?」




曰く、

「ブレストのトイレの4つある個室のうち一番奥、4番目には仏棲姫さんがいて、
手前から順番にノックして「仏棲姫さ~ん」と呼びかけて回ると、
4番目の個室で仏棲姫さんに、便器から排水溝に引きずり込まれ、下水道経由で深海に飲み込まれる」

という内容でした。



まったく聞いたことのない話でした。
ですがこの話を聞いた時、嫌に冷たい汗が背筋を伝ったことを覚えています。


「怪談……というやつですね……ふふ……」

「へぇ~面白そうじゃん」

「そういう話は苦手ですわ……」

「寒気がしてきたわ……」

「厚着したら?」


反応は様々でしたが、皆さん退屈していたのでしょう。
この話を試してみようという運びとなったのです。
……この時止めていたならと、今は悔やむばかりです。




















まずは1番手前の個室をノックします。

コン コン コン

「仏棲姫さ~ん」

ガチャ











……いません。




















続いて2番目の個室。

コン コン コン

「仏棲姫さ~ん」

ガチャ
















……ここにもいません。





















3番目の個室。

コン コン コン

「仏棲姫さ~ん」

ガチャ













……いません。

しかしここまででいないのは話の通りです。






















問題は4番目の個室。

じっとりと汗ばんだ掌を握りしめ、強く叩きすぎないよう慎重に……。




コン コン コン

「仏棲姫さ~ん」

ガチャ






































……ここにもいませんでした。


「な、な~んだ」

「や、やっぱり噂は噂よね……」

「さっさと撤収するクマー」

「帰ってカレーにしましょう!」

「それより寝ていい?」


私はと言うと、何もなかったという安堵感。
しかし、それとは別にほんの少しがっかりしたような落胆の気分もあったことは正直、否めません。
心のどこかで、もし本当だったらという気持ちがあったのかもしれませんね。


……そんなものがなければ、きっと気づかずにすんだのに。
















































5番目の個室があることに。












誰もが戸惑いと、そして躊躇いを抱いていたことは伝わってきました。
しかし、ここまで来たらもう後には引けません。
あるはずのない5番目の個室、確かめずには帰れませんでした。
皆さんわかって、いえ、感じていたのでしょう。止める人は誰もいませんでした。
場の雰囲気というものは恐ろしいですね。








心臓の鼓動に急かされるように、震える手が五度、静寂を破りました。


コン コン コン

「仏棲姫さ~ん」














ガチャ