「遅いよ、○○」

朝、寝坊して慌てて玄関を出ると、外で待っていてくれた寿くんがため息をつきながらそう言った。そういえば、寿くんが私のことを呼び捨てで呼ぶようになったのはいつからだっただろう。眼鏡をかけなくなったときくらいだったかな。うーん、思い出せない。

「○○?早く!」
「え、あ、ごめんね!」

名前を呼ばれて、ハッとした私はどうでもいいことを考えるのをやめて、慌てて寿くんに駆け寄る。転ぶよ、そう言われて言い返したかったけど、それはせず(それで転んだことがあるから)に私は大人しく気を付けて寿くんの傍までいって、そのまま寿くんの顔を覗きこんだ。じっと目を見つめると、寿くんは不思議そうに首をかしげる。寿くんの目は大きくて、女の子みたいだ。前にそう言ったら怒られたから言わないけど。

「なに?」
「寿くん、遅くて怒った?」
「怒ってないよ」

ふんわりと笑った寿くんに、ちょっと安心した。寿くんは普段はすごく優しいけど、実は怒るとかなり怖い。どなるとかそういうのはなくて、静かに怒る。そうなると仲直りするのがすごく大変だ。

「行こ」その寿くんの言葉で、私たちは学校に向けて歩き始めた。

春休みが終わって、今日は久しぶりに学校に行く。私達は今日から4年生。高学年の仲間入りなのだ。そう思うとなんだか不思議とわくわくしてきて、思わず口があがる。

「何笑ってるの?」
「んん?私たちもついに4年生だなって!」
「なにそれ、そんなに待ち望んでたの?」
「だって私が入りたかった金管クラブも、寿くんが入りたかった野球チームも4年生からでしょ?」
「あぁ、なるほど」
「だから楽しみ!」
「そうだね、僕も楽しみ」

ランドセルのベルトを両手で持ってぴょんぴょん跳び跳ねると、すぐに寿くんに「落ち着いて、○○」と注意された。落ち着いて、は寿くんによく言われる言葉の1つだ。寿くんは大人みたいに落ち着いてて、すごく頼りになる。私みたいにわがまま言いたくならないのかな。泣いてるとこも、最近は全然見てない。

「はーい」
「偉いね」

よしよしって私の頭を撫でながら、寿くんは言った。こんなやり取りも、すっごく子どもあつかいされてるなって思うけど、たしかに寿くんとくらべたら私なんてガキンチョだから何も言えないし、ほめられるのは素直にうれしい。寿くんは私の扱い方を知ってるって、お母さんはよく言ってる。

「○○はトランペットがやりたいんだよね」
「うん!…でも人気の楽器だから、ジャンケンになるかもってお母さんが言ってた…」
「大丈夫だよ。○○ジャンケン強いだろ?」
「そうかな?」
「うん。絶対勝てるよ」

不思議だけど、寿くんに「大丈夫」って言われると本当にそう思える。勉強でも鉄棒の逆上がりの練習でも、寿くんが絶対出来る!って言ってくれたから諦めずにやれたんだ。いつだって寿くんは私を励ましてくれて、味方になってくれる。私が寿くんをすごく頼りにしてるように、寿くんにとっての私もそうなりたいけど、現実はなかなかむずかしい。

「寿くんはキャッチャー!だよね?」
「うん」
「ふふ、寿くんなら絶対すぐレギュラーになれるよ!」
「そうかな?でもその前に入団テストがあるみたいだよ」
「へー!私応援しに行こうかな?」
「いいよ、恥ずかしいし」
「えー…」

思わずむくれてしまう。ずっと寿くんが野球の練習を頑張ってるのを知ってるから、寿くんなら私の応援なんかなくても入団テストに受かるって分かってるけど、寿くんのかっこいいところを見たいし、一番にお祝いしたかったな。

そんな風に思ってるのがバレたのか、寿君は私のぶすくれた顔を見て困ったみたいに笑ってた。

「受かったら○○にすぐ報告しに行くから」
「ほんとに?」
「うん、だから○○も楽器が決まったら教えてよ」
「…うん!」

自分でも単純だな、と思うけどそれだけで私のきげんはすぐに直った。寿君もそう思ったのか、また笑われてしまって少し恥ずかしい。
なんでも皆の話では私は“分かりやすい“らしい。そう言われるのがイヤなときもあったけど、寿くんが「僕は良いと思うよ」って言ってくれたから、いいかなって思うようになった。
寿くんの言葉は、私には魔法みたいに効くんだ。

「ふふふ」
「また笑ってる」
「えへ、私ね、私、寿くん大好き!」

思わずそう言うと、寿くんはおどろいたみたいな顔をしたあと、逆っかわに顔を向けた。「?どうしたの?」突然だったので、私も寿くんの見た方を見てみたけど、特になにもない。塀があるだけだ。

「寿くん?」

今度は寿くんの顔を見てみようとしたんだけど、前に回り込む前に目かくしされてしまった。

「わあ!寿くん、なにも見えないよ!」
「いいの、それで」
「転んじゃうよ」
「……たしかに、うう、ちょっとまって!」

しばらくそのまま立ち止まって待ってると、寿くんは目から手を離してくれた。寿くんは困ったような顔をしていた。

「行こ、遅れちゃう」

うん、そううなずく前に、寿くんに手を引かれて、私たちはまた歩きだした。こうして手をつなぐのは、なんだか久しぶりだ。寿くんの手のひら、固い。いっぱいがんばってるんだ。すごいなぁ、かっこいいなぁ。なんだか怒っちゃったみたいだから言わないけど、やっぱり寿くんが大好きだ、私。

寿くんの背中を見つめながら考えてると、突然、寿くんが立ち止まった。ついさっき遅れるって言ってたのに、どうしたんだろう。首をかしげてると、寿くんが振り返る。あ、寿くん、ほっぺたが赤い。

「……僕も」
「え?」



「僕も、○○が大好きだよ」



自分だってさっき言った言葉なのに、寿くんにそう言われたとたん、顔があつくなったのがわかった。胸がドキドキして、運動したあとみたいになる。あれ?なんだろう、これ。

「あはは、○○、リンゴみたい赤くになってる」
「え?え?」
「かわいいよ」

寿くんは私のほっぺたに触って、にっこり笑った。恥ずかしい、うれしい。そんな色んな気持ちで私の顔はますますあつくなった。

その間も寿くんはずーっとにこにこしてて、私はぶすくれながら寿くんに言った。

「いじわる!」

寿くんはやっぱり、笑ったままだったけど。

名前:佐藤寿也+坂口光
通算本塁打144本
話した言葉:おまけ1

寿くんかわいい

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