それは『好き』に対する反対の1部に過ぎません
その言葉の意味する事の反対が1つとは限らないでしょう?

どうせ偏屈な理屈家あたりが私のような復讐者を宥める為に言い出したのではないですか?
好きの反対がすべて無関心になるならば、アンチなんてものは存在しないのです
好きの反対は無関心